院長紹介

院長 田中 伸尚

田中伸尚 院長ブログはこちら

経歴
  • 名古屋市生まれ
  • 名古屋市立 菊里高校 卒
  • 国立 東北大学 歯学部 卒
  • 岡村歯科(仙台市、歯周病専門医)勤務
  • 前岡歯科(一宮市)勤務
  • たなか歯科クリニック開業
  • 南カリフォルニア大学歯学部客員研究員
  • 延世大学(韓) 頭部解剖学
  • 医療法人TDC 理事長
  • マルメ大学,カロリンスカ医科大学(スウェーデン)歯学部 視察
  • CTマイクロエンド・ペリオクリニック 併設
  • トロント大学 Dr. Shimon Friedmanに師事
所属学会・スタディグループ
  • 日本歯周病学会
  • 日本歯内療法学会
  • 日本歯科保存学会
  • 日本顕微鏡歯科学会
  • 日本インプラント学会
  • 米国インプラント学会
  • 国際インプラント学会
  • JAID(Japanese Academy for International Dentistry)
  • ASK(明日への歯科を語る会)主催
血液型
O型
趣味
ランニング 旅行 読書

著書・共著

  • 定期健診へでかけよう!(ブイツーソリューション)定期健診へでかけよう!(ブイツーソリューション)
  • 本当に怖い歯周病 その予防と治療(海苑社メディカル情報部)本当に怖い歯周病 その予防と治療(海苑社メディカル情報部)
  • 歯科医院 引き寄せの法則(デンタルダイヤモンド社)歯科医院 引き寄せの法則(デンタルダイヤモンド社)
  • 若手歯科医師を育てるドクター育成カリキュラム(第一歯科出版) 若手歯科医師を育てるドクター育成カリキュラム(第一歯科出版)

田中伸尚の生い立ち・・~私が歯科医師になった理由と想い~

「もう歯医者さん行きたくない!!」

幼稚園のころ

なんと、私は幼稚園児にして虫歯で歯がほとんどなくなってしまい、子供用の入れ歯を作ってもらうほどでした。そして、歯医者が大嫌いだった私を、なんとか歯医者に連れて行こうとする親から、いつも逃げ回っていました。 さらに、言葉を覚えるのが遅かったため、口でうまく表現できず短気でかんしゃくを起こす子でした。物を投げたり蹴ったりたたいたり。親は苦労したことだと思います。 私と歯医者とのかかわりは、そんな幼少期までさかのぼります。この頃の体験が、今の私の歯科医院作りへの理想へ、大きく影響を与えていることに気がつくのは、開業してからでした。

歯科医院で、自分の部屋のようにくつろいでいた小学生時代

私の両親は歯科医師ではなく、医療とは無縁な環境で育ちました。 上は兄、下は妹という3人兄弟のド真ん中。自由奔放で、両親のいうことを聞かない子供でした。 学校の成績はオールB(ABC評価)という平凡な成績で、 口数も少なく、折り紙やあやとりが好きな小学校低学年時代。 何をやっても平凡で、背も小さく、特徴のない子でした。 そんな小学校時代にも、幼稚園のころから継続して、歯医者には通い続けていました。 しかし、この頃になると、歯科医院に慣れるどころか、 あまりに通う期間が長いため、いつの間にか歯医者へ通院することが生活の一部に。 そして、あんなに怖かった歯医者なのに、怖がるどころか、 待合室で漫画を読んでくつろいでいたり、飴やガムを食べていつも先生を困らせていたりという子供でした。

貧しいながら入れてくれた、思い出の「金歯」と「矯正治療」

高学年になっても歯医者通いは止まりません。 少しずつ虫歯は少なくなってきてはいましたが、通院は続き、 治療費のために母親の内職したお金が全て消えていってしまうような状態でした。 さらに当時、父親は脱サラして自営業をしていたのですが、まだ仕事は順調といえず、とても貧しい状態でした。 ある日、奥歯の虫歯にかぶせ物をかぶせることになりました。歯科医師の先生から説明を受けた母親は「じゃあ、金歯を入れてあげて下さい」と一言。 当時、経済的に厳しい状況にも関わらず、少しでも長持ちするようにと金歯を入れてくれたのです(この金歯は40年以上経過した今でも残っています!!)。 歯医者になるための勉強を初めてから、奥歯の大切さや金歯の丈夫さを知り、当時の両親の決断を、心から感謝をしたことを覚えています。

出っ歯を治し感動した矯正治療

当時の私は「出っ歯」でいつも笑っているような顔でした。 母親は私が上級生からからかわれていることを気にしていました。 自分では、その顔に何も感じていなかったことと、 治療費が非常に高く、子供ながらに両親に負担をかけるのが嫌でした。 しかし、私のことを心配してくれた両親の強い勧めで、矯正治療を行ったのです。 矯正治療は3年ほどかかりました。きれいな歯並びのために健康な永久歯を合計4本抜きました。 この時は少し悲しい気持ちになったことを覚えています。 しかし、綺麗な歯並びになって、銀色のボタンのような装置を取り外したときのうれしさと、 恥ずかしさを今でも思い出します。治療をうけさせてくれた両親に感謝です。 当院では、小児・成人の矯正治療にも力を入れていますが、 自分自身の感動を多くの方に味わっていただきたいという想いが強いという理由が大きいのです。

自然と歯医者への道を志望した高校時代

中学校1年のときにアマチュア無線の免許をとったり、電気街へパソコンをさわりにいくのが好きでした。 また、手先が器用だったため、よくペーパークラフトを作っていました(歯医者に手先の器用さは欠かせないので、 良い素質を親からもらいました)。他には、中学、高校は部活動のテニスに明け暮れていました。 そんな充実した青春時代もあっという間に過ぎ、高校3年生。進路を決める時期が来ました。 将来どうしようかな・・・と考えたとき、すぐに「歯医者になろう!」と思ったのです。 幼少期から高校時代まで、ずっと生活の一部として歯医者がありました。 職業といったら、歯医者くらいしか知らないというくらい、歯科医院漬けでした。 ですので、私の中ではごく自然な選択肢でした。 今思い起こすと、虫歯で悩んでいる時期は本当に辛い思いをたくさんしました。 痛い思い、嫌な思いもしました。 しかし、そのお陰でいま、こうして歯科医師になれたことで、 無駄な経験ではなかったのだ、歯科医師になることは運命だったのだと強く思います。

夢へのスタートラインに立つも、極貧の大学時代

なんとか受験に成功して、国立の東北大学歯学部に入学することができました。 大学に入って驚いたことがあります。 それは、医学部希望だったけれど、成績が足りずにしぶしぶ歯学部にきた人が多かったことです。 いわゆる「医学部崩れ」です。特に国公立大学の歯学部に多いように思います。 志望ではなかった歯学部に入ったことで、歯科という分野に対しての情熱には差があるように感じました。 その点、私は歯科医師を志望して入学したことは、幸せなことだったのかもしれません。 もう一つ驚いたことは、周りにお金持ちが沢山いたことです。 医者や歯医者の息子が多いためなのですが、 一般家庭出身の私には、車を持っていたり、仕送りをしてもらっていたりする同級生を羨ましく思っていました。 私は、最初テニス部に入ったのですが、お金が続かずに退部。 その後は、アルバイトで塾の講師と勉強をする日々でした。 この頃に塾の先生をやっていたことも、 今のスタッフ教育に大いに役立っていますので、 やはり私の人生には無駄がないんだなと、しみじみ感じています。

歯周病専門医の下で歯周病治療・保存治療を学ぶ

大学卒業後、大学に残ることも考えましたが、 より歯科医師としての力を伸ばせるところで働きたいと思い、仙台市内の岡村歯科医院に就職しました。 岡村先生は歯周病専門医として、歯科医療の奥深さを教えてくれました。 そして歯学界では一流の先生に会う機会をたくさん作ってくれました。 採算度外視で育ててくれ、私は歯科医学の勉強にのめりこんでいきました。 岡村先生のお陰で、歯周病治療の重要性、1本の歯を全力で残す治療を行うことへの情熱を教わりました。 また、小児患者が多かったため、子供の治療へ慣れることにもつながりました。 4年間、とても居心地のよい勤務医時代をすごし、 歯科医は私にとってまさにこの時期に、「やはり天職だったんだ!」だと思うようになりました。 岡村先生には感謝しきれません。

夢を叶えた開業・・・しかし、現実は甘くなかった

その後、地元の名古屋に戻り、2001年にたなか歯科クリニックを開院しました。 地方での開業も勧められましたが、私を育ててくれた名古屋という地で、 地域の方々に貢献したい、真剣に歯を守る歯科治療を提供したいという思いで地元を選びました。 そして、流れ作業の治療ではなく、じっくりと一人一人患者様と向き合って治療するスタイルを目指し名古屋市内で落ち着いて治療できる場所を探しはじめました。 ある日、業者の方から覚王山にテナントを募集していることを聞き、即決しました。 まわりには歯科医院がたくさんあります。しかし、自分の気に入った街で開業したいという気持ちは変わらず、 少ない開業資金ながら、現在の地で開業をすることができました。 私の夢が、ひとつ叶った瞬間でした。 当時はチェアは2台。妻にも手伝ってもらい、夫婦二人で小さな医院はスタートです。 理想と希望に燃えていましたが、最初の数年間は、一日数名の患者様が来院するだけ。 数年間は経営的には非常に苦しい状況でした.借金で心が折れそうな時もありました。 「今は苦しいけど、良い治療をしていればきっと選ばれる歯科医院になる!」 そう信じて毎日、目の前の患者さまの歯のために全力で診療をしていました。 しかし、なかなか経営が軌道に乗ることはありませんでした。 さらに追い打ちをかけるように、妻の流産もありました・・・。 とても落ち込みました。夫婦で泣きました。 でも、「絶対に理想の歯科医院を作るんだ!」という夫婦の夢は大きかったので、 苦しいながらも笑顔を忘れずに、頑張っていました。

苦しみを乗り越え、新たな夢のスタートへ

常に理想の医院像を目指し、熱く語り、そして理想を追い求めた治療をしていく中で、 少しずつスタッフも一緒に夢を追ってくれるようになりました。 それに比例して、口コミで患者さまが少しずつですが増えてきました。 「やはり自分がやってきたことは間違っていなかったんだ! 患者さまの健康を真剣に願い、良い治療をしていれば、良い治療を求めている方に選んでいただけるんだ!」 そう自信もついてきました。今ではおかげさまでたくさんの患者様にご来院いただいています。 妻は子育てで忙しくなったため事務にまわり、優秀なドクター・スタッフも増え、診療台も増設しました。 しかし、まだまだ私の夢は道半ばです。 私の理想の歯科医院とは・・・ 『最新・良質な治療で、歯を守ることがデキる歯科医院』 『予防で歯と人生の喜びを守ることができる歯科医院』 『楽しく通え、多くの笑顔を生み出せる歯科医院』 この理想を今もなお、目指し続けています。 私自身も海外や日本国内の様々な研修会や学会に参加し、技術の研鑽に努めています。 学生時代には苦痛に感じていた勉強が、歯科医師になってから、どんどん楽しくなってきたのは、新鮮な発見でした。 そして、今では私だけでなくメンバーも多くの研修会へ参加して成長し続けています。 これは、私にとって、本当に嬉しい事です。 まだまだ、夢の道半ばですが、今後も地域の皆様に貢献できる歯科医院を目指し、研鑽を続けていきます。 歯科医院が苦手な方。 誰にも相談できない悩みを持たれている方。 とにかく、歯を良い状態にしたい方。 いつまでも、健康な歯を守りたい方。 私達は、どんな悩み・不安にも、共感し、解決をサポートすることができます。 気軽に相談して下さい。 また、健康な方こそ、ぜひ歯を守るために歯科医院へいらして下さい。 あなたの人生の豊かさを実現する一助になれば幸いです。

たなか歯科クリニック 田中伸尚

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